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本人以上に周囲が困ってしまう時…その対応法について考える―産業医のメンタルヘルス事件簿vol.10

企業の人事労務担当者が思い悩むことの1つに、従業員のメンタルヘルス対応が挙げられるでしょう。「産業医のメンタルヘルス事件簿」では、VISION PARTNERメンタルクリニック四谷の産業医兼精神科医の先生方に、産業保健の現場で起きていることやその対応について寄稿いただきます。

今回はVISION PARTNERメンタルクリニック四谷のパートナー医師である岸本雄先生に、本人も困っているけれどもそれ以上に周囲が困ってしまう従業員への対処法について教えていただきました。

当人はあまり困っているようにみえない。でも周囲が困っているとき…どうするか?

仕事をしていくうえで明らかに問題が起きている、そして周囲が困り切っているにも関わらず、当の本人がそれほど困っているようにみえない――。こんなケースは至る所で見られます。発達障害を抱えている方、未治療の統合失調症の方などでも見られますが、今回は事例としても比較的多いアルコール依存症のケースをもとに、周囲の方が本人とどう向き合うのが望ましいか、その対応法について考えていきたいと思います。。

          • 【事例:昇進を機に飲酒量が増え、勤怠不良が目立つようになったAさん】
          • X年4月、Aさんは不動産会社の営業部長に昇進した。プレッシャーがかかる中で不安、緊張から眠れなくなり、ノルマが達成できないと自責感に襲われた。ある時、酒を飲んだら不安、緊張が消え、気分が爽快になることに気が付いた。以降より寝る前に習慣的に飲酒するようになった。5月頃から飲酒量は1日ビール500ml6缶ほどとなり、それでも眠れないため、日曜日は夜通し飲み続けてそのまま会社へ向かうようになった。6月頃より営業先から「酒臭がする」とのクレームが入るようになり、遅刻、欠勤が見られ始めた。朝になっても起きないため、本人に代わって妻が欠勤の連絡をした。妻が注意すると「そうやって言ってくるからストレスで飲みたくなるんだ」と激高し更に飲酒するのだった。定期健康診断の結果、肝機能障害が著しいため産業医と面談になった。面談の場面では「ちょっと飲みすぎて肝臓が悪いだけ」という言葉が目立った。

Aさんのように、本人が困らないもしくは困れないのは「否認」の心理が働くからです。「否認」とは、現実や不安、ストレスの原因となっている不快な事実から目をそらし、現実を認識しないようにすることを言います。事例のように「アルコールが原因で問題が起きている」と認めてしまうと、それをやめないといけなくなります。このため「否認」の心理が働くわけです。

<依存症の方でよくみられる「否認」のパターン>

①無視:事実を指摘されても認めない。飲みすぎを指摘されたくないので健診にはいかない。

②過小評価:問題の大きさを認めない 例)「たまたま飲みすぎただけ」

③理由付け:都合の良い理由をつける 例)「そうやってうるさく言われると飲みたくなる」

④攻撃:自分の中の不安や恐れを相手への怒りにすり替える 例)「この職場が悪いんだ!」

⑤自己憐憫:感傷的になることで問題を直視しない 例)「どうせわかってくれない」

⑥置き換え:自分の不安を相手の評価であるかのように置き換える

例「会社はどうせ自分を首にしたいんだ」

出典:ASK飲酒運転防止インストラクター養成講座 改訂版2023 p54

同時に家族や同僚、上司といった周囲の人も「善意」で本人の困りごとをカバーするような行動をとることがあります。例えば、客先からクレームが来たとしても「たまたまかもしれない」「次からしっかりしてくれよ」と見て見ぬふりをする――こうした周囲の行動は本当によくみられます。しかし、このような行動が続く限り、依存症になっている本人が自分事として問題を認識することが困難になります。

周囲が困っているときにどうすればいいか?

では、私たちは彼らとどのように関わればいいのでしょうか。関わり方のコツとしてはCRAFT、リスク管理の観点からは限界設定(リミットセッティング)を行うことが有効です。

1)CRAFT(Community Reinforcement And Family Training)

CRAFTは依存症の人々がより望ましい行動(断酒する、病院に行くなど)に繋がるために開発されたプログラムで、周囲がどのような関わり方をするのが効果的なのかが書かれています。ポイントは本人の行動を変えるために、小言、泣き言、懇願、怒り、脅しなどの手段を使わないことです。具体的には以下のような特徴があります。

①「私」を主語にして、肯定的な言い方にする

主語を「あなた」や「おまえ」にすると、相手を攻撃したり、非難したりする印象を与えます。
同時に「〇〇しなかったら〇〇になるぞ」という否定的な表現も攻撃的な印象を相手に与えます。
「わたし」を主語にすることで、いたずらに相手を刺激することが少なくなり、「〇〇したら〇〇になるよ」という肯定的な表現をすれば余計な対立を減らすことができます。

出典:アルコール依存症に対する家族の効果的な対応の仕方

②具体的、簡潔に言う

くどくど文句を言っても、耳をふさがれるのが落ちです。何をしてほしいのか、どういう行動をとってもらいたいのか、具体的かつ簡潔に言うと相手に伝わりやすくなります。

出典:アルコール依存症に対する家族の効果的な対応の仕方

③望ましい行動を強化する

「遅刻せずに仕事にきた」「思いの丈を話してくれた」など、当事者が少しでも望ましい行動を取ったときには、積極的に肯定し、いい気分になってもらいます(報酬を与えます)。報酬の頻度が多ければ多いほど、一般的にはその行動を繰り返す可能性が高くなります。

2)限界設定:リミットセッティング

限界設定とは、行動にある一定範囲内の「限界点(リミット)」を設けることで、受け入れられる/受け入れられない行動を明確にし、行動の是正を図る対応法になります。具体的には以下の手順を踏んでいきます。

①困りごとが事実として起きていることを本人に伝える

まず、本人の言動によって業務に支障が生じている「事例性」を共有する必要があります。いつ、どこで、どのような支障が生じたのかを具体的に記録し、その事実をなるべく正確に伝えます。この時注意しなければならないのは、感情的にならない、憶測で話さないことです。

<事例性について端的に示す>

・〇月の間に欠勤、遅刻が〇回続いている。

(勤怠表のコピーをみながら×月×日、▽月▽日…)

・〇月〇日、営業面談後に取引先から「酒の匂いがする」とクレームがあった。

(メールなどがあればそれのスクリーンショットをコピー)

・急に欠勤したために同じチームの人が〇分残業することになった。

・謝罪対応のために〇分業務が停滞した。

・本人の仕事が遅れたために納期が〇日遅れている。  等

②この状態が続くと、本人が今後損することを伝える

事例を共有できた後は、このままの状態が続くと本人にとって不利益になることを率直に伝えます。ただし、伝える前には法令違反がないか、就業規則に則っているか確認する必要があります。

<不利益・処分の例>

・就業前にアルコールチェックを行い、飲酒している場合は欠勤扱いとする

・遅刻、欠勤の回数に応じて給与を減額する

・ボーナスを下げる

・通勤手段を公共交通機関のみにする(飲酒運転のリスクがあるため)

・休職の発令を予告する

・家族を呼んで状況を説明する など

③本人の意見も確認したうえで、合意をとる。

事実確認と今後起こりうる不利益について伝えた後は、一度本人の意見を聞く時間をつくります。そのうえで改めて会社としてはどのような対応をとるか本人に伝えて合意を取ります。
この時、同時に解決策についても用意し、本人に選択させます。例えば病院を受診する、飲酒日記をつける、定期的に産業医面談を受けさせるなどが挙がります。この際にも本人なりの改善策がないか意見を聞くようにしてください。そのうえで最終的に合意を取るようにします。

④本人を信じて、肯定的な行動については積極的に言葉にする

合意を取ってからは、本人が本当に変わると『信じる』ことが大切になります。上記の枠組みは、あくまで本人がきちんと問題と直面し自主的に変化することを期待して設定しています。少しでも良い変化がみられたら「時間通りに来てくれて僕も安心するよ」等のように積極的に言葉にしていきます。望ましい行動を積極的に褒めることで行動の変化を期待していくのです。

産業医に繋げる場合に注意すべきこと

産業医に繋げる前に、注意する点があります。アルコール依存症の方の場合、アルコールに関連した問題行動が確かに目につきやすいです。しかし、そこだけに囚われていると①虚血性心疾患や急性膵炎などの重篤な病気に繋がりうる健康状態であることを見逃す、②背景にあるうつ病を見逃す(特にアルコール依存症とうつ病とが重なっている場合、自殺率が高くなります)、③ストレスの起因となった長時間労働を見逃す(長時間労働者であるほど飲酒量は増加します)などの落とし穴に落ちる場合があります。

このため、本人を産業医面談に繋げる場合は、アルコールの問題だけでなく、健康診断の結果、勤務状況についての情報も事前に共有し、アルコールに関連した問題行動以外の変化がなかったか改めて振り返ることが重要です。

【参考文献】
アルコール依存症に対する家族の効果的な対応の仕方
・アルコール・薬物・ギャンブルで悩む家族のための7つの対処法―CRAFT(クラフト)
著:吉田精次+ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)発行:アスク・ヒューマン・ケア
・ASK飲酒運転防止インストラクター養成講座 改訂版2023
アルコール依存とうつ病
The effect of exposure to long working hours on alcohol consumption, risky drinking and alcohol use disorder: A systematic review and meta-analysis from the WHO/ILO Joint Estimates of the Work-related burden of disease and injury

 

岸本 雄 (きしもと ゆう)

産業医・精神科医

宮崎大学医学部医学科卒業。東京都立松沢病院にて臨床初期研修修了後、東京大学医学部附属病院精神神経科医局に所属。同大学や都立松沢病院、東京警察病院にて精神科急性期、緩和ケア、精神障がい者の復職・就労支援に従事。現在は労災指定病院である多摩済生病院およびVISION PARTNERメンタルクリニック四谷にて、精神科慢性期、ビジネスパーソンの精神的ケアに従事している。

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